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きょうだい児(ダウン症の妹)として、実際に育ったことについて。

兄弟に障害者がいる人のことを、「きょうだい児」というらしい。

私は兄がダウン症なので、きょうだい児です。

先日、きょうだい児の結婚について書いたら思いのほか反響があったので、今日も「きょうだい児」について書こうと思う。

きょうだい児(兄がダウン症)である私の結婚について書いています。交際相手のご両親に反対されて破談になったこともあったけれど、





我が家について

まずは、我が家の家族構成について。

父、母、5歳上の姉、3歳上の兄、私の5人家族だ。

当たり前だが、私が誕生したときには、すでに兄がいたので、障害者は私にとっては身近だ。

ちゃんと覚えていないが、幼稚園の頃には兄が障害者だと理解していたと思う。

幼稚園から中学校までは3兄弟全員同じ学校に進んだ。

だから、私の友達はみんな兄のことを知っていた。

家に友達をよんで、兄と友達と一緒に遊ぶこともあった。

兄について、からかわれることもないし、ほんとに何も無かった。

兄は、小学校5年生から障害児学級に入った。

普通クラスにも所属するが、算数や理科など兄の苦手な教科だけ障害児学級で過ごすというような形をとっていた。

中学でも同じように普通クラスと障害児学級どちらにも所属していた。

高校は、養護学校か普通高校かで両親は悩んだが、結局普通高校に進むことになった。

残念ながら、高校でいじめられて中退した。

私は姉と同じ高校に進んだ。

その高校は、進学率がほぼ100%だったので、大学に行くのがあたりまえという感覚の人でいっぱいだった。

兄弟の話になると、どこの大学に通っているのかを聞かれる。

姉について聞かれて、「○○大学」と答える。

兄について聞かれて、「兄ちゃん、大学いってないねん。高校中退やで!」って答えると、「そんなはずはない」といわれる。

事実なのに。

信じてもらえないから、「ダウン症やねん。高校中退して、今は働いてる」と答えると、一瞬の間ができる。

その後「……そうなんや!」ってなる。

この一瞬の間が私は耐えられなかった。

たぶん一瞬なんだろうけど、私にはとてつもなく長く感じる。

沈黙の間、相手が何を考えているのか気になる。

変な同情はされたくない。

一瞬の間が怖くて、高校1年生のときから、つい最近まで兄について自分から積極的に話さなくなった。

だからと言って、兄が嫌いになったわけではなく、家では普通に話すし、家族で外出もする。

小さい頃からの友達には、兄の話もする。

ただ新しく知り合いになった人には、家族の話はなるべく避けるようにしてきた。

障害者が家にいるということ

母は、なんとか兄を人並みにしようと兄が生まれてから社会人になるまで並々ならぬ時間と愛情を兄に注いだ。

なんでも一人でできてしまう、私はほったらかしだった。

同じ家のリビングにいるのに、母が見ているのは兄だけ。

自分は健常者だからしょうがないと思いつつも、母に構ってもらえる兄ちゃんはいいなと思うときもあった。

不良になって親を困らせてやろうかという馬鹿な考えが頭をよぎったこともあるが、ただでさえ兄がいて大変なのにこれ以上親を困らせるのは悪いと思い不良になることはなかった。

大人になってからは、母に感謝している。

今、兄と普通にしゃべったりできるのは、母が兄と真剣に向き合ってきたからだ。

もし、兄のことをほったらかしにしていたら、兄は言葉を発することもできなかった可能性だってある。

なんでも一人でこなしていく私をほったらかしにしていたのは仕方のなかったことだ。

今なら理解できる。

「10を聞いて1を知る」

賢い人は、「1を聞いて10を知る」というが、兄の場合は、「10を聞いて1を知る」だった。

兄は生まれてすぐから10歳くらいまで知的障害者向けの塾のようなところに通っていた。

塾では、毎回課題が出される。

『次の時までにハイハイをできるようにしてください』や、『「あいうえお」を言えるようにしてください』

「10を聞いて1を知る」兄のために母は同じことを何度も繰り返し教えた。

ほんとに何度も何度も同じことを言っていた。

何度繰り返しても、兄は理解できず、母はイライラしていることがよくあった。

そんな母を見て育ったから、私は少しでも家が明るくなるように冗談を言って周りを笑わせることが好きな子どもだった。





姉に遊んでもらっていた子供時代

母と兄はずっと一緒だったから、私は小学校に入るくらいまで、姉や姉の友達に遊んでもらっていた。

「妹を連れて友達と遊び行くのは嫌だった」と大人になってから姉に一度言われたことがある。

私は姉や5歳上の友達に遊んでもらえて嬉しかったが、たしかに姉としてはたまったものじゃなかっただろう。

今にして思えば少し悪いことをしてたなと思う。

不登校児に認定されそうなくらい休んでいた学生時代

私は幼稚園のときは、皆勤賞をとるくらい元気だったのに、小学校に入学してから毎月1度は扁桃腺を腫らし、1週間学校を休んだ。

多い年は年間20日以上休んでいた。

母は専業主婦だったので、休んだ日は、兄が帰ってくるまでは母を独占できる。

40度近い熱を出しながらも、母が近くにいてくれることがうれしかった。

母と一緒に教育テレビや「はなまるマーケット」やドラマの再放送を見た。

先生たちは我が家の事情を察してくれたのか毎月休むことについて、何か言われることはなかった。

恥ずかしながら、寂しかったから休んでいたとわかったのは、大人になってからだ。

愛されたいけど愛されたくない

それなりの年齢になれば、告白されたり付き合ったりする。

あるとき気が付いた。

私は、愛されているという状態がとんでもなく嫌いだ。

気持ち悪すぎて逃げ出したくなる。

自分が人を好きになるのは大丈夫。

でも誰かに好意をもたれるのは嫌だ。

好きだと告白される。

なぜ、この人は私なんかが好きなんだろう。

他に女の人はいっぱいいる。

なぜ、私なんだろう。

私を選ぶなんて、センスがない。

こんなセンスがない人とは付き合えない。

困って、友達に相談してみると、変だという。

愛を素直に受け止めればといいと言われるが、居心地が悪いから付き合っても長くは続かない。

困ってネットで検索してみた。

すると、「自分のことを愛しましょう」と出てきた。

ここで、ピーンときた。

親にかまってもらえなかった幼少期。

愛されて当然の親にすら愛されていると実感できなかった。

そのまま大きくなった。

親にも愛されずに育ったのに、なぜ他人が私を愛するのだろうという疑問が消えなかった。

結局、この問題はなかなか解決しなかった。

頭では理解している。

親が私を愛していなかったとは思わない。

私は愛されていたはずだ。

そして、他人にもほんとは愛されたいのに、いざ愛されるとこわくなる。

10年近くかかり、徐々に人に愛されても怖くならないようになった。

ずっと相談にのってくれてた友達に感謝している。

兄と二人暮らしをした1年間

4年前に、父が転勤することになった。

最初は単身赴任をしようかと言っていた。

でも、私は「母も一緒に行ったら」と言った。

兄はこのとき30歳手前。

父は単身赴任をしたことがあったし、姉も私も大学時代から一人暮らしをした。

しかし、兄はずっと実家暮らしのため、母と兄は離れたことがなかった。

母は自分たちの死後、兄が生活できていけるのか不安だと話していた。

そこで、二人がいなくても私たちで生活できると安心してもらうために母に父の転勤先に行ってもらった。

姉は結婚していたので、私は兄と実家で1年間暮らした。

洗濯物をたたむのとゴミ捨ては兄の家事分担にした。

二人で生活してみると、私の思い通りにいかなくてイライラすることもあったけど、今思い返してみるとなかなか楽しい1年だった。

少しでも父や母の将来の不安が小さくなったならば良かった。

障害者について

乙武さんは、「障害は不便だけど不幸ではない」と「五体不満足」で書かれていた。

彼は兄と同じ障害者ではあるが、身体障害者だ。

障害者という同じ括りにされてしまうけれども、身体障害者と知的障害者では、大きく異なると思う。

身体障害者は、不幸ではないのかもしれないが、私は兄を見ていて、知的障害者は不幸だと思う。

兄自身、自分がダウン症であるとわかっている。

もし知的障害者であっても、何も理解していないほうが幸せなのかもしれないと兄を見ていて感じる。

障害者に生まれたくて生まれたわけではない。

「ダウン症は天使だ」とか言っている人もいるが、私はそうは思わない。

ペットのようにかわいがっていたら天使のように思うのかも知れない。

しかし、一人の人間として考えたら、やっぱりダウン症であることは生きていくうえで大変で、うまれた瞬間からそんなハンデを背負わされているのは、かわいそうだ。

この思いは小さな頃から変わらない。

登場しない父

これまで、いろいろ書いてきたが、ほとんど記事に登場しない父。

父は、私が幼い頃は仕事で忙しく、平日に子供たちに会うことはなかった。

土曜日も仕事で、日曜日にたまに休むくらい。

母はほぼ一人で子供を3人育てて大変だったと思う。

でも、父がしっかり稼いでくれるから、母は家のことをしっかりできたのだと思う。

30代、40代と大変だった二人。

これからはゆっくり過ごして欲しい。

最後に

ダウン症の兄がいて、今の私が形成された。

兄が健常者ならば、全然違った私であっただろう。

兄がダウン症であることで、結婚するときだけ嫌な思いもしたが、それ以外は特別なことはなく楽しく過ごしてこれた。

将来めちゃくちゃお金に余裕ができたら知的障害者向けの施設を作りたいなと思っている。

まだまだ先の話になるだろうけれども。

なんか決まったらご報告します!

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コメント

  1. 平成 より:

    愛とかよくわからないけど、離れようと思っても離れられないのが愛なのかもしれない…
    ※執着や束縛とは別の意味で。

    私は今年から障がい者施設(知的・ダウン)のホームグループで働き始めました。
    (令和ブログから気になって、ブログを読んでしまいました笑)

    さて、障がい者施設を作る件で現時点での考察を述べますね。
    1、障がい者施設及びグループホームを作るには、地域住民の理解がないと作れません。
    ここが一番大変だそうです(^_^;)

    2、利用者の加算金額が改正される度に減額されるので、重度の利用者がいないと経営は厳しいと感じました。

    フランチャイズでもありますが、経営的に収益を出すのは難しいので破綻するのが目に見えています(*´・ω・)

    一度、そういった施設で働いてみても良い経験になると思います\(^_^)/

    • passante より:

      コメントありがとうございます!
      平成様は、障害者施設で働かれているのですね。
      もうすぐグループホームに兄が入ることになったので、今まで以上にグループホームに興味を持っています。
      近所のグループホームで一度働いてみたいと思います!

  2. pumiy より:

    ダウン症の親です。読ませていただきました、ブログに紹介させていただきます。

    • passante より:

      コメントありがとうございます。
      ブログを拝見しました。
      娘さんのことを考えて行動されててとても素敵なお母さんだなと思いました。
      お二人の子育て、大変だと思いますががんばってくださいね。